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臨床一年目、泣き虫歯科医だった、その時の私の目標

2016.10.07 #当院について

こんばんは

京都市伏見区桃山南口の仁科歯科医院の仁科真吾です

なぜかこの出来事を思い出したので書いていきます

父を知る患者さんがたくさん入れば父はみんなの想いの中に生きているでしょ

父ー62歳1999年12月29日

雪の降るとても寒い夜父と永遠の別れがきた

コーヒーが好きで、タバコが好きで、診察室では冗談が好きで、とても優しい父親で….

時はさかのぼります

19年前ー26歳

卒後2年目の歯科医師だった僕

父が亡くなる年の前の年ー癌が発症した年

もっと早くから発症してたかもしれないです

父が亡くなるなんて全く思っていなかった

これより遡ること2年前

つまり21年ぐらい前の臨床一年目

この頃僕は臨床もぴよぴよ、人間としても弱く、大学でも、大学が終わってからの研修先でも泣いてばっかりいたのです

この頃の歯科の臨床って言えば….見て覚えろ、もちろんそうなんですが…

大学でメンターになった先生からは敵を増やすことになるからお前には何も教えない自分で覚えろ!

と言われていました

別にこれを恨んでいるとか、この先生がどうだったとか言うつもりなんてなく-むしろ今ではこれで強くなれたのかなあって思ってます

もっと言うと講座に入局したまず第一声目がお前白衣似合わんなあ?

泣きましたーでもたくさんの医局の先生がいるので声を上げずに目から涙が出ないように泣きました

でもねここで助けてもらったのが実は僕の上の3つ上の先生、4つ上の先生で仁科この本わかりやすいぞ見てみ

僕ーげ!5万もするやん

でも何も知らない僕、お給料もない僕-この頃臨床研修医にはお給料はありませんでした、

親元請求で本を買ったんです

すっごく助かりました

親にごめん高い本買った

父ーお前は今はキンタマ質に入れても頑張らなあかん時期やぞって

歯科の大学を卒業したからって臨床では全く役に立たないんですよ

びっくりするぐらい

でもこの3、4人の先生方、のおかげで少しはできるようになり

そしてハイブリッドセラミックスの臨床治験をしてもいいよって言われました

上手くなりたい!

そう思って

100症例はしました!

治験というのはこれが臨床の現場に出る前の最終段階のものです

この後セラミッククラウンの臨床治験もさせてもらいました

クリセラっていう材料だったのですが発表でこれがブリッジには向かないということを大学院の先生ー現助手の先生と行い発表したのです

よし俺できるんや!

でも大学が終わっていく研修先ではコテンパンです

スピードが遅い、ー技術がないということなんです

すっごく怒られました

夜24時に帰ることは毎日で

朝、は食べられない性格だったのでコーヒーだけ飲んで大学へ

お昼ご飯はもちろん食べる暇がなくー時間がなかったので

夜ご飯は24時になってからという生活が続いていました

こんな生活で父が癌で入院すると電車の中で電話がなり

お父さんが癌で入院や!どうしよう

母からの電話です

慌てて関西医大に行きました

父がベットで点滴をつなげながら寝てました

ワシはこんなところで寝ていられるような身分じゃないんや!そう言ってました

また部長回診でも

ご気分どうですか?って聞かれると

こんなとこにいて気分いいわけないやろ!

みんなシーンってなってました

母からは型をもらった患者さんだけでも入れてあげられへんか?

うんいいよ!そういったものの技術的に未熟な私

この時の僕はすぐに父が戻ってくるものと考えてました

しかし…

違ったのです

抗がん剤3クール

頑張って父の戻ってくる場所を残しておきたい!

そう思って診療をしてました

もちろん型をもらった患者さんだけではありません

急患の患者さんも来ます

子供のバットが歯に当たって歯が欠けた!

ほっぺたまで腫れている!

などなど

今まで大学でゆっくり予約の患者さんしか見たことがなかった僕、臨床の現場がどんなものか

この時ギャップがあったのです

もちろん急患の患者さんは全て見ましたよ

でも人間ができていない僕は母に当たったり、ー自分の技術のなさの当たりどころがないので当たってしまったのです

毎日車で香里園にある関西医大へ夜中カルテとレントゲンを持って父の元へ

わからないことがいっぱいですから…

警備の方も僕を覚えてもらってたので入れてくれました

おそらく今では入れてくれないと思います

夜中24時ですから

毎日毎日父の姿が変わっていることにもびっくりしました

前の日髪の毛があったのに次の日には髪の毛が抗がん剤のためになかって坊主だったり

父は僕に向かってこう言います

あはは?毛が抜けてチクチクするから坊主にしたわ

僕ー心の中でこう言ってました「嘘やろ?、臨床上がってから何年も立たない僕に心配かけないようにそういってるんやろ」

そして退院

父は自宅で寝てました

父がそばにいてくれるってああ?安心

そう思い

父復活

父と共に診察

なんて明るい診察室なんやろ?

たくさんの冗談と、スタッフさんの笑顔、患者さんの笑顔

そしてたくさんの愛情

ぶわ?って溢れるっていう言い方がいいのかどうかわかりませんが

父がいると雰囲気変わるんですよ

それもつかの間

また高熱が?

頭を後ろからバットで殴られたような衝撃が…

父が再入院する

また不安が

よし!今度こそ

父が安心して入院してくれそして父が帰れる場所を守ろう!

そう思って我武者羅に診察をします

こんなことが3回続きます

その度に頭がかち割られるような衝撃が…

1999年12月29日朝3時45分

父が亡くなる時が来ました

この前の時間は僕と母がいました

実はこの何日か前に兄が担当医に呼ばれ宣告を受けていたようです

この日僕もなんとなく知ってました

母も

そして何を待つ時間なのかわからない時間が長く長く流れたのです

1分が一時間にも思えるような

この日家で最後の診察を終え少し疲れたのか?少しうとうととした瞬間起こされます

真吾!真吾!

お父さんが

父が話します…声にならない声で

実は父の口の中は真っ白でしやべれません

にーって笑うんですよ

 

スキャン 1

笑えないはずやのに

僕、まだお父さんおらなあかんねん!

逝かんといてや!

僕には聞き取れなかったのですが

心配してないって言ったそうです

この時までの目標は父が帰る場所を作るという目標だったのです

父のなくなってから教授に言われます

〇〇病院の歯科部長になってもらえないかっておっしゃられてるけどどうする?ってメンターに言われました

しかし父の残した歯科医院もありますので、そして父の遺言で〇〇教授がおられる限り大学は行きなさいと言われていますので

お給料は入りませんのでいさせてください

そう言ったことを覚えています

この頃喉から手が出るほど歯科部長という言葉に憧れましたし収入もよかったのですが…

父の歯科医院を継ぐこれに迷いはありませんでした

そして

ここから少しずつ医院の目標は変わります

まるで僕の歯科医師のレベルと共に

現在ー口腔から全身の健康を増進する!

という目標を掲げています

なぜなら歯周病が全身に及ぼす影響、

口臭は父がおそらく癌になり始めた時に癌による口臭を気づいてあげられなかったためこれがずっと頭にあったんですよね

だから

口腔内以外の原因の可能性があるのなら病院に紹介したりできるじゃないですか…

 

これは僕一人で掲げて来た目標だったのですが

今、歯科大学から学生も勉強しにくるようになりました

スタッフもトリートメントコーディネーターとして活躍しだしました

もしかしたら

もっと何か変わるかもしれません

父が亡くなった年まであと17年

子供にも、妻にもパパはこんな地域に貢献できる仕事してたんやでって誇れるパパになりたいなあ

そんなことを考えてます

 

 

 

 

 

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