仁科歯科医院の仁科真吾です
僕は父の仁科隆実、母の仁科整子という歯科医師の元に生まれました
実家の隣には母の姉であり小児科がありました
叔母は僕にしんちゃん大きくなったら私の歯を治してね、治してね
と言われていました
物心がつく頃から歯科医師になるのかなあ
そう思っていたのです。
小学生
この頃僕は歯磨きも嫌いで歯医者の子でありながら虫歯が多い子でした
歯科検診でも虫歯の紙をもらってきました
父は忙しい人で休日でも急患の人がいると診療所に行っていました
また疲れていたのかお昼まで寝ていました
お父さん遊ぼうよなんて子供ながら言えませんでした
いつしか父の仕事はお休みもないから嫌だなあとさえ思っていたのです
ある小学生の3年生の12月31日の夜
歯が痛くなり我慢していたのですが
夜、お風呂に入り、寝ようとするとズキズキしてきたのです
寝れない痛みから
父の寝室に行き
お父さん歯が痛いねん、ごめん治してもらえないかなあ
そうすると
眠れんのやろ、診療所行くか
そう言って僕が言いたいことを言ってくれ連れて行ってくれました
怒ることもなく
あはははは
お前が今年最後の患者やな
ただそう言って治療をしてくれたこと、父の優しさに触れたのです
高校生
3年生の頃僕は無試験で近畿大学の理工学部に行ける成績があったので先生から行くか?
そう言われていました
正直迷ったのです
この時に父は部屋に入ってきて何の仕事にしろ人様のお役に立てる仕事、喜んでもらえる道に行きなさいと言ってくれたのです
父の姿を見ていると
地域の人が買い物に行くとあ!先生!
と笑顔で話しかけてきてくれるのを見ていました
あ!やっぱり同じ道がいい!僕もこの仕事で喜んでもらいたいそう思って大阪歯科大学への受験、進学を選んだのです
卒業して3年目の大きな出来事
この頃父は癌になりました
口臭がしたのですが言えなかった記憶があります
もしかして何か体調が悪いのか?
明らかに歯周病の匂いじゃあないなあそう思いながら
1999年12月29日
家族みんなの思いは叶わず父は逝きました
最後に話したこと
お父さん僕まだまだやねん
お父さんがおらんかったらあかんねん
そう父に行ったことを覚えています
父は喉にできた口内炎により声が出なかったのに
にっこり笑って小さな声でお前のことは心配してないと言ってくれたのです
冬のとても寒い雪の降る朝でした
父を家まで連れて帰り葬儀の準備をしていたのですが
この日実は前日に切開をした人が心配だったので診察する約束をしていました
朝10時泣いた顔を隠しながら笑顔を作って診察したことを覚えています
父の口臭僕は原因がわからなかったけれど口臭で悩む方がいらっしゃられるんだなあ
もっと早くわかっていたらもっと違った道があったかもしれない
そう思いながら口臭検査の機械を探していました
そして2015年ついにオーラルクローマーによる検査を開始したのです